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モーターの日立 古河公方公園 排水ポンプ

公方公園には日立の排水ポンプが展示してあります。

栃木市合戦場に生家のある小平浪平氏は久原財閥のもと日立市で創業しています。

創業の地茨城県日立市だけでなく、浪平のふるさと栃木市の大平町にもエアコン、冷蔵庫 白物家電製品を製造する工場があり,現在も冷蔵庫とエアコンを製造しています。

 

栃木市にほど近い茨城県古河市 公方公園。度重なる水害に備えて排水ポンプが設置されています。

かつて用いられていた「日立排水ポンプ(36.17681247242853, 139.6984386626635)」が公園の御所沼の畔、天神橋と相ノ谷橋の間、筑波見の丘の麓に展示されています。

パネルを書き起こしてみました。

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御所沼干拓地を水害から守った排水ポンプ

前所在地 旧御所沼排水機場(古河市新久田九二四番地)

形式 横軸両吸込渦巻ポンプ

製造年 昭和二十四年

口径 八〇〇ミリメートル

揚水量 毎分八〇立方メートル

総揚程 七・五メートル

 

 古代鎌倉公方足利成氏が一四五五年に鎌倉から古河に移り初代古河公方となる。以後、約一三〇年間、古河は東都とも言われ、東国の政治文化の中心となり、古河公方とその子孫たちが、一七五年間、鴻巣御所(古河公方館址)を使用した。そして、何時の頃からか鴻巣御所の周囲に広がる沼を御所沼と呼ぶようになった。江戸時代、御所沼は古河城主の園遊池にもなり、古河桃林は御所沼に縁どられて名所となった。

 しかし、そんな古河の歴史の原点ともいえるこの地は、渡良瀬川の後背湿地で川の氾濫や大雨時の内水氾濫に絶えず悩まされていた。これらの水害から解放されるには、渡良瀬川改修工事(明治四三年から大正一四年)と御所沼干拓工事(昭和二二年から昭和二七年)の完成を待たねばならなかった。

 戦後の食糧難もあって実現した御所沼干拓工事は、受益面積七〇ヘクタール、揚水機として四台のポンプを備え、灌漑用水を供給し、この排水ポンプで干拓地を水害から守ったのである。そして、念願の米作りを可能にしたが、同時に古河の悠久の歴史を紡いできた御所沼を消滅させた工事でもあった。

 しかし昭和四十七年に当公園が都市計画決定され、平成八年には古河公方館趾の舌状台地の森を囲むように御所沼の一部が復元された。

半世紀以上の間、御所沼の干拓地を水害から守った排水ポンプは、老朽化によりその役目を終え、復元された御所沼のほとりに御所沼転生の干拓史を伝える証として保存展示された。

 このポンプの吐出口は、今はなき旧御所沼揚水機場を向いている。

                                  平成二八年一〇月 古河公方公園

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