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お楽の方出生の地

以下書き起こしました。

---------------書き起こしはじめ---------------

平成四年十二月吉日

大平町議会第十代議長

大杉清一建立

青木三太郎利長の住居跡

高島御前(於楽の方)生誕の地

青木三太郎利長は文禄四年七月二十日下野国都賀郡高島村六ツ家のこの地で生れた

元和三年二十二歳の時島田村村上荒川より嫁紫をめとり高島村を始めていたが当時高島村は常陸国古河藩の領地であったため高島村を我が物にしようとしていた榎本城主の策略により当時御禁制であった鶴を殺してしまい罪人となり至難場で処刑される

現在の六ツ家の先祖は利長の家来であった罪人の家来と言うことでまわりの村人より冷めたくされ永く辛苦をしたと言う。

高島御前於楽の方は宝樹院殿とも言われ高島村生れのため高島御前とも言われる元和七年二月十五日下野国都賀郡高島村字六ツ家の古杉の大木があるこの地で生れる寛永十年三月江戸城の大奥に仕え三代将軍家光公に奉公寛永十八年八月三日江戸城内で男子竹千代君を出生する後の四代将軍家綱公である。

於楽の方は父利長の処刑されたあと母紫と姉一人兄二人と共に島田村に帰りその後養女として江戸浅草に出され春日の局に見そめられたと言う。お楽の方が出世されたあと兄弟は取立てられたが六ツ家は罪人の家来として残されてしまった鶴のため子孫末代まで難儀をさせられたのである。現在ではどんな大罪をおかしても罪を憎んで人を憎まずましてや親兄弟子孫までも苦難の道にはばまれつづけ苦労をしてきた人々の爲と此の地が歴史的のも由緒ある所であり此々に記念碑を建立す。

---------------書き起こし終わり---------------

碑は、上高島と真弓の境界、真弓の北東にある小集落の中の生活道路わきにあります。

比較的最近建てられたようです。