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男爵いもの父、川田龍吉略歴

川田龍吉男爵年譜

1856 安政3 0歳 3月、高知城西土佐郡杓田村(現高知市旭元町)に土佐藩氏・川田小一郎、美津の長男として生まれる。

1868 明治1 12歳 この頃、川田小一郎、伊予川之江銅山の代官に任命される。

1971 明治4 15歳 土佐藩士・岩崎弥太郎、九十九商会を興す。川田小一郎これに参画。

1872 明治5 16歳 九十九商会を三川商会と改称。

1873 明治6 17歳 三川商会を三菱商会と改称(のちの郵便汽船三菱会社)。

1874 明治7 18歳 商会の本拠地を東京に移す。この頃、慶應義塾医学所塾。

1877 明治10 21歳 レンフェリューのロブニッツ造船所で、船舶機械技術を学ぶため渡英。

1878 明治11 22歳 英グラスゴー大学技芸科入学。機械造船工学を修む。

1879 明治12 23歳 グラスゴー大学短期コース終了。ロブニッツ造船所で実地修業。

1883 明治16 27歳 ジェニーに出会う。この頃、農村地帯をしばしば訪れる。川田小一郎、三菱事務総督となる。

1884 明治17 28歳 帰国。三菱製鐵所入社。機械士となる。

1885 明治18 29歳 日本郵船会社誕生。新東京丸三等機関士となる。岩崎弥太郎、死去。

川田小一郎、三菱会社退社。

1887 明治20 31歳 この年七月、楠瀬春猪と結婚。

1888 明治21 32歳 二月、日本郵船会社製図掛、六月、機関監督助役拝命。

1889 明治22 33歳 十一月、川田小一郎、第三代目日銀総裁就任。長男吉郎誕生。

1892 明治25 36歳 日本郵船機関監督助役として横浜在勤(横浜ドック派遣出向)

1893 明治26 37歳 この頃、横浜ドックK.K.専務取締役に就任。造船所建設の責任者となる。

1895 明治28 39歳 十月、川田小一郎、日清戦役における財政上の功により男爵を授受さる。一月次男・吉雄誕生。

1896 明治29 40歳 川田小一郎氏去。川田龍吉、男爵位襲爵。横浜2号ドック竣工。

1897 明治30 41歳 この頃、横浜ドックK.K.初代社長就任。

1898 明治31 42歳 三月、三男・吉三誕生。

1899 明治32 43歳 八月、四男・吉也誕生。

1900 明治33 44歳 軽井沢長尾原に農場建設。

1902 明治35 46歳 蒸気自動車ロコモビルを東京芝口ロコモビル日本代理店より購入。この頃横浜ドックK.K.退社。

1903 明治38 47歳 三月、五男・吉衛誕生。

1905 明治38 49歳 六月、三女・季子誕生。

1906 明治39 50歳 この年、函館ドック会社専務取締役として北海道へ渡る。

1907 明治40 51歳 函館郊外七飯村鳴川に農場を開設。馬鈴薯の試作をはじめる。

1908 明治41 52歳 「アイリッシュ・コブラー」が優良品種であることを確認。普及にのりだす。アイリッシュ・コブラーはのち「男爵いも」と命名される。函館より七飯農場まで男爵はロコモビル蒸気自動車を自ら運転した。この時登場したロコモビルが北海道最初の自動車となる。

1909 明治42 53歳 渡島当別に約一四〇〇町歩(約13.9㎢)の山林農地を取得。

1911 明治44 55歳 函館ドック会社を退社し、相談役となる。

1912 大正1 56歳 渡島当別で農場建設にのり出す。この頃、殖産会社川岡組を設立(のち恒産組に改称)。

1913 大正2 57歳 恒産組設立。函館湾に連絡線就航を図る。恒産組回漕部第一当別丸進水。

1919 大正8 63歳 この頃、次男・吉雄、オックスフォード大学留学を経て帰国。この頃から米国よりさまざまな農業機械を導入。渡島当別の農場で酪農・畑作・林業などにおける近代化農業の実験をはじめる。作物の品種改良も試みる。

1923 大正12 67歳 次男・吉雄氏去。

1924 大正13 68歳 新牛舎完成。この頃、カールレイモン氏と相識る。

1927 昭和2 71歳 金融恐慌における取り付けで、資産の三分の一を失う。三女・季子トラピスチヌ修道院に入る。

1928 昭和3 72歳 男爵いも、北海道の奨励品種に指定される。

1930 昭和5 74歳 国鉄木古内線開通。

1932 昭和7 76歳 全道移出農作物品評会で男爵いも一位となる。

1933 昭和8 77歳 鉄道開通のため連絡船乗客が激減。この頃、恒産組回漕部閉鎖。鹿部村に試作地約二町歩(約1.98ha)を借り受け東溟園と名づけ、馬鈴薯、落花生を栽培。

1935 昭和10 79歳 この頃、農業指導のため鹿部村をしばしば訪れる。酪農事業を休止。

1939 昭和14 83歳 十二月、妻春猪死去。

1944 昭和19 88歳 四月、三女・季子死去。

1946 昭和21 90歳 二月、五男・吉衛氏去。

1948 昭和23 92歳 トラピスト修道院に於いて洗礼を受ける。洗礼名ヨセフ。

1951 昭和26 95歳 二月北海道渡島当別の自宅に於いて死去。

1977 昭和52 ジェニーの手紙、遺品の中から発見。

道の駅 「なないろ・ななえ」

「男爵ラウンジ」の掲示物 より書き起こし